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2010/1/1..ことばの力更新しました・・スクロールダウンをお願いします】

いつもひとりとみんなをご支援いただきありがとうございます。

     

はなむすびは、以下のような考えをもって取り組んでいます。

地域のなかでの「つながり」が急速に弱まり、孤立化や孤独化が進んでいるとも言われています。

また世代間の交流も少なくなってきました。

このような現状を少しでも変えようと、ご高齢のかたがた、大学生、高校生や中学生が同じ場所に集い、「一人ぽっちでない自分」を確かめようと考えています。

こういう小さな「場所」からもういちど「つながり」の大切さを大切に出来ればと考えています。

 なお、この取り組みは、東京都有資格者等支援事業(福祉チャレンジ教室)の助成を受けて実施されています。・・・・福祉や介護の素晴らしさを社会に伝える事業・・・

何かを作り、それを育てることは大変なことですが、ひとひとりの笑い顔と笑い声を楽しみにひとりとみんなは皆さんと一緒に支えていきたいと思います。     

 

次回は2010/2/28 14:00〜リレイス鶴川 カフェリレイスで行われます。

この回は、家庭開放型デイサービスを運営している「野冬花(のどか)」さんの管理者である斎藤恵子さんにお越しいただき、小規模デイサービスの魅力について語っていただきます。

 

それから1月23日のはなむすびは、地域の方々10名をお招きし、学生と交流をもち、そのあと、西口が高齢社会のなかで考える「ひとりでも、みんなとも暮らせることと」をお話しました。

 

 

《ことばのちから》                                                                                                                  

ひとりとみんなの理念を勇気付ける人々の「ことば」を折節ご紹介します。

【ことばの力】2009/10/28

自分に対する共感があってこそ、人に対しても共感できるのではないかと私は思う。「私は私であっていいんだ」と自分を肯定できることで、「相手にも相手の人生があるのだ」と人も肯定できるのである。対立する両者の間にこうした共感が生まれたときに、互いの心の壁が取り払われ、和解の道が開けるのではないだろうか。

(井上孝代 あの人と和解する〜仲直りの心理学 集英社新書)

【ことばの力】2009/11/9

『(子どものころ言われた『遠くにいってはいけないよ』の)『遠く』というのは、ゆくことはできても、戻ることができなところだ。おとなのきみは、そのことを知っている。おとなのきみは、子どものきみにはもう二どともどれないほど、遠くまできてしまったからだ。子どものきみは、ある日ふと、もう誰からも『遠くにいってはいけないよ』といわれなくなったことに気づく。そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人のこどもじゃなくて、一人のおとなになってたんだ。』

(長田弘 詩集”深呼吸の必要”に収められている 「あのときかもしれない 四」 昌文社)

【ことばの力】2009/11/14

『勇気があれば希望が生まれ、そればかりではなく、希望があれば勇気が湧いて出ることも同様に真実なのである。なんとなれば、希望があるということは、何か身をゆだねるものがある。またはありうるということを意味するからである。』

(ミルトン・メイヤロフ ケアの本質に収められているケアの主な要素のなかの『希望』  ゆみる出版)

【ことばのちから】 2009/12/1

人生にはいろいろ食い違いがあるのです。誤解することもあり、傷つけあうこともあるのです。しかし、愛あるものは忘れるのです。サラリと水に流すことを知っているのです。ねちねちと、いつまでも恨みを思いかえしているのは愛が欠けていることなのです。

(谷 昌恒著 ひとむれ 第三集 評論社 1981年)

解説;著者の谷先生は、北海道家庭学校(旧教護院)・・・留岡幸助が創立したことでも有名・・・の校長先生でした。校長在任中の説教や講演で語られたお話をまとめたのが、この『ひとむれ』です。

【ことばの力】 2009/12/22

ぱさぱさに乾いてゆく心を ひとのせいにはするな、自ら水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを 友人のせいにするな、しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを 近親のせいにするな、なにもかも下手だったのはわたくし

初心きえかかるのを 暮らしのせいにするな、そもそもがひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を時代のせいにするな、わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい

自分で守れ

ばかものよ

(茨木のり子 ”自分の感受性くらい”に収められている「自分の感受性くらい」 花神社 2005年)

【ことばのちから】2010/1/1

相手といっしょに楽しみ、いっしょに怒り、いっしょに悲しむことが土台になって、おたがいがわかりあえるようになる。それ以外のわかりかたでは、おたがいに靴をへだててかゆいところをかくようなもどかしさがある。生き物としての基本の、ねるところ、たべるものを共にするところで、こころがひらけてくる。そこからはじまって、共感・共鳴をあらわすことばとみぶりの運用を通じて、おたがの意志や考えが見えてくるのである。

(花崎こう平 生きる場の哲学〜共感からの出発〜 岩波新書 1981年)

【2010年3月までのブログカレンダー・・・】

月曜日:松本(仮名)さんのRestart(CPという障害があり、アルコール依存症治療病棟での入院経験から社会のあり方を問います)

火曜日:西口守・大学のこと、社会福祉のこと、学会論文、書籍の照会など

水曜日:安藤(仮名)さん・2年目の介護職のかたり(介護の現場の様々な状況をリアルに語ります)

木曜日:朴さん・新入社員のかたり(お仕事のことなど、外国人から見た日本のありようを語ります)

金曜日:コピラさん(ネパールからの留学生が感じる日本を語ります)

土曜日:お休み

日曜日:樋口さん:やさしい言葉たち(ハートフルなメッセージ。心が和みます)

『ブログの発信者達は、ひとりでもみんなとも暮らせる社会の目撃者であり、実践者です』

 

 

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